「我が家の畑は・・・」と云っても、出荷するわけでもない単なる家庭菜園である。
みよう見真似で始めたものだが、かれこれ6年ほどになる。
とは云え、未だ初心者の域を脱してはいない。
両親が健在だった頃は、折角の楽しみ、或いは健康管理を兼ねての運動だと解釈して私は殆ど手を出さなかった。

そんなこともあり、いざ野菜を作ろうとなるとなかなか要領を得ないのである。
だが漸く、多少なりともまともな野菜を作れるようになると、それがまた「楽しみ」の一つにもなっている。
昨年迄は母も健在だったことから、特に夏野菜は多目に栽培していた。その所為もあって胡瓜の成り具合は良く、とても母と二人きりでは食べきれない程の収穫量だった。
手を加えれば加える程、実りも多い。

独りになった今年は、苗の本数を減らし、時期を若干ずらして栽植することにした。
ほうれん草や蕪、キャベツやミニトマト。今年は昨年同様、胡瓜の他に茄子やピーマン、オクラや夕顔なども植えてみた。
全て私好みの野菜ばかりだが、今年はそれら以外にも、唐辛子やモロヘイヤ、他には苺やメロンなどの野菜的果実も植えてみることにした。
出来はイマイチだが、食卓を賑わしてはいる。

若かりし頃、友人らと酒を酌み交わしながらお互いの将来の夢を語り合ったものだが、私の夢は「晴耕雨読」だと話すと、随分「夢のない夢だな」と一笑に付されたものだが、この齢になって思うと、「最高の夢だ」と思えるようになった。

私の好きな歌人の一人に、橘 曙覧(たちばな あけみ)がいる。
幕末期の歌人で、モノの豊かさではなく心の豊かさを求めた清貧の歌人であり、日常詠や家族詠を好んで詠んでいる。なかでも「独楽吟」が知られている。
その独楽吟のなかに、「たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花の咲ける見る時」と云う一首がある。

1994年(平成6年)6月13日、天皇・皇后両陛下が訪米した折、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチのなかで引用した一首である。
朝起きて、庭を散策した折、「あれっ、この花綺麗だな」「昨日までは咲いてなかったのに・・・」と、橘曙覧の微笑む顔が見て取れる一首である。
日常のふとした瞬間の喜び、感動を詠んだものだが、日常の細やかな「楽しみ」「仕合せ」を三十一文字で表現する。
私も斯くありたいと思う今日此の頃である。


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