遅ればせながら、5月4日、晴天の霹靂とも云える僥倖なる知らせが舞い込んできた。
「晴天の霹靂」と云っても、お米の銘柄ではない。
お田植えの準備の為、圃場を見て回っていると携帯のベルが鳴った。
岩手県歌人クラブの山本豊会長から、5月9日(土)開催の第42回啄木祭短歌大会の出欠云々についての内容だった。
啄木祭短歌大会応募の折、私は「応募葉書に詠草のみ」大会には欠席する旨を記して投函した。
なにぶんにもこの時期、農繁期の為身動きが取れないからだ。
なにぶんにもこの時期、農繁期の為身動きが取れないからだ。
「はぁ、ですが大変申し訳ございません。繁忙期の為、残念ですが出席できそうにありません。いったいどうしましたか?」と尋ねると、私の応募作品が最高賞の啄木祭賞に選ばれたとのこと。
その日は快晴、正しく晴天の霹靂だった。
その日は快晴、正しく晴天の霹靂だった。
啄木祭賞に選ばれた一首
「生徒らの声のさやぎに送られて閑かに終わる母の納棺」
母は昨年の11月、93歳で彼の世に旅立ったが、その葬儀会場が半世紀ほど前、母が教壇に立っていた一関小学校の直ぐ隣にある。
校庭から生徒らのはしゃぐ声を耳にしながら、母の納棺の儀は閑に終わった。
そのことを素直に詠んだ一首である。
そのことを素直に詠んだ一首である。
5月10日は母の日。それを意識して応募した訳ではなかったが、中尊寺西行祭短歌大会や一関地方短歌大会等で司会進行を務めるなど、生前の母は疲れた顔で帰宅する私を見ていたこともあり、今回の受賞はおそらく、その労をねぎらって、或いは不憫に思ったのか、選考の折、黄泉の国から選者らの耳元に囁いてくれたのかも知れない。
出来ることならお田植えの日程を変更し、授賞式に向かうべきだったが、如何せん以前のブログにも記載した通り、遺憾ともし難い理由があった。
後ろ髪を引かれる思いで欠席の報を山本会長に返答したのである。
そして一昨日、第42回啄木祭短歌大会の結果表や盾と賞状が山本会長から送られてきた。
昨年の10月12日に盛岡市で開催された第52回東北短歌大会でも、翌日に第75回一関地方短歌大会準備の為、私は欠席せざるを得なかった。その時にも受賞カップと賞状を送っていただいた経緯がある。
山本会長にはお手を煩わせてしまい、感謝の念に堪えない。
結果は次の通り
啄木祭賞
生徒らの声のさやぎに送られて閑かに終わる母の納棺 伊藤 英伸(一関市)
盛岡市長賞
老班の浮きてさびしき母の手がにぎりし飯を夢に頬張る 折居 路子(盛岡市)
岩手県歌人クラブ会長賞
日雇の今日を終へたる足袋底に現場の砂の熱れ残れり 岩瀬 誠 (群馬県)
岩手日報社賞
天井の高さの書架に手をのばし春の光の歌集に出会う 深町 一夫(秋田県)
朝日新聞社賞
おたまじゃくしぽわりと泡を吐くように小一の子の嘘のかわゆし 中里 茉莉子(十和田市)
毎日新聞社賞
三鉄の復旧願ひ千羽鶴折りし少年社員となりぬ 加藤 優子(仙台市)
読売新聞社賞
十五年の思いあふれて書き泥む「復興意識調査」を前に 三船 武子(久慈市)
<選者賞>
稲垣貞男選
白寿近し足腰つらき母なれど朝晩のお経欠かさず続く 小野寺 洋一(奥州市)
小笠原和幸選
上野駅十五番線啄木の歌碑をやさしく読む声のする 野上 卓(東京都)
藤井永子選
啄木の生まれたる郷に住み慣れて卒寿越したる今を尊ぶ 上野 和子(盛岡市)
八重嶋勲選
春さむき空幾重にもつらなりてかりがねわたる鼓動のごとく 岡田 紘子(盛岡市)
吉田史子選
双眼鏡に鶴を数へる分校の一人の生徒の吐く息白し 藤林 正則(札幌市)
<互選賞>
第一位
風となり光となりて駆けてゆくあれは田の神稲穂のうねり 羽藤 堯(奥州市)
第二位
三鉄の復旧願ひ千羽鶴折りし少年社員となりぬ 加藤 優子(仙台市)
第三位



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