法務省は、刑事事件の再審制度の見直しで、証拠開示の範囲を限定し、再審開始決定に対する検察の不服申立てを維持するとの内容を、今月中に取りまとめる見通しのようである。

絶対にあってはならない冤罪をなくす為には、肝となる証拠の開示を限定すると云うことは、甚だしく真実の開示を妨げることになりかねないのではないだろうか。
過去の冤罪事件でも再審で無罪になったケースがある。免田事件や財田川事件、松山事件や島田事件、最近では袴田事件や大川原化工機事件などは記憶に新しい。決して少なくはない。

つまり検察による不服申立てが維持され、闇雲に再審が認められることにより、裁判は長引き、無実の罪を着せられた冤罪の被害者は、遺憾ともし難い無力感。泣くにも泣けない喪失感に苛まれることになる。
「人間がやることには間違いがある」と袴田氏の姉ひで子さんが云っているように、人間誰しも完璧ではない。何某かの間違いを犯すものだ。
その間違いにより、誤った法の鉄格子から逃れられない現実があり、無念のうちに一生を終えることになる。そんなことが許されていい筈がない。
その罪はあまりにも重く、大きい。

冤罪と云うあまりにも切なく罪深い行為を繰り返しては絶対にいけない。
その為にも、慎重に慎重に裁決を下さなければならない。
その為にも、証拠の開示を限定するようでは真実を見誤る可能性がある。
三権分立を掲げ、司法の独立性を重んじてきた筈だが、「権力に阿ているのではないか」と思われても仕方のない司法決定も見受けられる。

一体どこ迄、何を信じたら良いのか、懐疑的にならざるを得ない今日である。
そんななか、先の衆院選と同時に最高裁裁判官を決める国民審査があった。
いつも迷うのが裁判官の国民審査である。なにせ情報が少なく選びようがない。裁判官の経歴や実績をみて判断したかったが、公報が届いたのは投票(期日前投票)の後だった。
いつものことだが、もっと早目に出していただきたいものである。冤罪をなくす為にも、裁判官を選ぶことは大変重要なことだと思う。

間違ったでは済まされない事「冤罪」>>


satozakura
2026-4