食育とは、農水省によると、生きる上での基本であり、知育・徳育・体育の基礎となるものであり、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実現することができる人間を育てることだと定義している。
それぞれの地方、各地域によってそれぞれ特有の、地域に根付いた多様な食文化、食生活がある。
特に和食はお米を中心として、各地域の食材を調理しながら郷土料理が生まれ、発展してきている。
お米には、飯米用の「こしひかり」や「ひとめぼれ」のような「うるち米」、「ひめのもち」や「こがねもち」のような「もち米」がある。
そのもち米を、地域の食文化として浸透させ、食育による人間形成を試みているのが、私の住む岩手県南の一関地方である。
我が家でも古くから餅を食べる習慣があった。
飯米のうるち米のみならず、以前はもち米も栽培していたこともあり、事あるごとにもち料理が食卓に並んだ。我が家では決して盆暮れや「ハレの日」に限ったことではなかった。杵や臼は勿論、過去に3度程買い替えた電気用餅つき機も頻繁に稼働していた。
もち料理の種類は、餡子餅や胡桃餅、ずんだ餅や納豆餅、じゅうね(エゴマ)餅などが主流で、お雑煮だけは何故か正月に限られていた。一番美味いのに・・・。
祖父や父は甘党なので、餡子餅が兎に角頻繁に出てきたことから、子供の頃の私はあまりもち料理が好きではなかった。
然し乍ら「血は水よりも濃し?」今の私は餡子餅や胡桃餅が大好物である。
余談はさておくとして、先日、一冊の著書が出版された。垂涎紫玉の一冊、『一関もち物語』である。一関の餅食文化を世に知らしめた当事者、と云っても過言ではない佐藤晄僖(84)さん発行、作家の椎浪真平(仙台市)さん著の珠玉の一冊である。
一関地方はもち食が盛んで、もち食文化としては日本一と云われる迄になったその陰には、多くの困難を乗り越えた帰結であろうと思われる。
著の序文に、「小さな運動でも、信念と努力があれば(その内容や方向が間違っていない限り)、賛同者や支援者が現れ、良い方に広がって行くものだと確信している。」とある。
とは云え、「事の成就」には色んな困難が待ち受けているものである。地元の伝統ある寺院の住職より、「過去帳にあるように、江戸時代には飢饉で多くの人たちが死に、飢餓を生き延びたご先祖様たちはもちによって命をつないだ。そんなもちを調子に乗って作るものではない!」との叱責を受けるなど、好事魔多しの側面もあったようである。
然し乍ら、「困難は乗り越えられる者に与えられる」との不失正鵠な格言にあるように、前出の佐藤晄僖さんの奥方(故・紘子さん)や農協元職員の斎藤さんらの不退転の決意による粘り強さが、今の一関地方におけるもち食文化の進化、発展に繋がっていると云っても過言ではない。









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