享年93、悲しくも母が天に召された。
昨今の新聞慶弔欄には、3桁は珍しくないが、女性の平均寿命は87.13歳、天寿を全うしたと云っても過言ではないと思う。
母は去る11月4日の夕方、一関病院から葬儀社の安置所に移送された。
静かな夜を過ごしたが、翌朝子供らの賑やかな声が聞こえた。葬儀社の直ぐ後ろは一関小学校である。
おそらく母は、生徒らの賑やかな声を懐かしく思ったに違いない。
何故なら今から半世紀程前、母はこの小学校の教壇に立ったことがある。
何故なら今から半世紀程前、母はこの小学校の教壇に立ったことがある。
その職業柄か母は気丈にして芯が強く、プライドが高かった。ただその割には、化粧や装飾品で着飾ることを「良し」としなかった。実に質素なのである。
息子の私からすれば、もう少し綺麗な着物や化粧をした方が良いと思ったものだ。
過去に幾度となく服をプレゼントするからどんなのが良いか尋ねたが、「何もいらない」の一点張りだった。
過去に幾度となく服をプレゼントするからどんなのが良いか尋ねたが、「何もいらない」の一点張りだった。
納棺の折、棺に入れる衣服を探した時、急にこみ上げてきた。黄泉の国で着飾れるものがなかなか見つからないのである。
あの時、断られても買っておくべきだったと、つくづく後悔の念に駆られた次第である。
母は元々胃腸が丈夫な方ではなかったが、生死に関わるほどの大病を患ったことはなかった。
主治医からも「内臓はいたって丈夫だね」と励ましの言葉をかけられ、家族としてはその言葉に安堵感を覚えたものである。
しかしながら9月に入り、少しずつ食が細くなってきた。
残暑の影響かとも思ったが、念の為主治医に相談したところ、入院した方がよいとのことで、9月の下旬急遽入院することになった。
検査の結果、胃癌と診断され、それもかなり進行していたようである。
担当医から手術云々の話があったものの、母も私も年齢を考慮し、手術を断り、緩和ケアを希望したのだった。
現在の医療制度は、財政観、貨幣観の誤認識により、入院期間は最長でも60日間。後は自宅か施設か、兎に角出ていけと云う訳である。
本来なら、患者当人にしろ、家族にしろ、病院にいるのが一番安心なのだが・・・。
已む無く退院後はホスピスに入所する予定だったものの、それも不要となってしまった。


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