岩手県南の今冬は今のところ比較的穏やかな日が続いている。除雪は昨年下旬より未だ1回のみ。
出来ることなら、このまま春を迎えたいところだが、「然うは問屋が卸さない」のが世の常。
覚悟だけはしておいた方が良さそうである。

そんな折、縁者の悲報が続いている。
2ヶ月程前には父方の叔父(義理)が、先週1月16日には、2005年の広域合併の折、一関市長職務執行者を務めた母方のはとこが、その僅か5日後の21日には母方の叔父(義理)が相次いで他界した。
我々人間のみならず、この世に生を受けるもの全てが、息をし始めた瞬間からあの世に向かって歩を進めている。このことだけは絶対に避けては通れない宿命であり、運命である。
然し乍ら、運命であることを納得し、覚悟はしていても、やはり別れは辛く、切ないものである。

先日の21日に他界した叔父(義理)の趣味の一つに、掛け軸などの表装がある。
実は私も以前、短期間だが表装を習ったことがある。
ただ、道具一式揃えたまでは良かったが、時間的な問題もあり、それ以降一度も表装道具を使っていない。今ではどこにあるのかすら記憶から消えている。
「いずれいつかは」と思いながらも、既に20年以上の歳月を重ねてしまった。
当時、叔父に「そのうち教えてもらいにいくからね」と話していたが、元氣なうちに行ってれば良かったと、後悔しきりである。


kakejiku
この一幅は、扇形の東山和紙に叔父自ら写経を揮毫したものを、叔父自身の手で表装したものである。
今思うと、かなり高尚な趣味を持っていたものだなと、つくづく感心させられるのである。
大事な形見として、大切に保管したい。
因みにその御礼もあり、納棺の際には私の紺紙金銀写経を収めさせていただいた。安らかに眠っていただきたい。

※タイトルの「生者必滅会者定離」とは
命あるもの全ては必ずあの世に逝き、出会いがあればいつかは必ず別れる時が来るのが、世の定めと云うもの・・・。


tozanken
有り難くも、香典返しのなかに、地元の老舗和菓子店「東山軒」の「田舎まんじゅう」と「どら焼き」の詰め合わせが入っていた。作っているのは中学時代の野球部の先輩である。とても優しい先輩であり、餡の中にその優しさがしっかりと包みこまれている。

年賀状の歴史と東山軒のどら焼き>>






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