文藝春秋103巻第2号「古風堂々69 新旧メディアに踊らされぬために」の、作家で数学者の藤原正彦先生による寄稿文に強く共感し、深く感銘を受けた。
私が文春を手に取る時は先ず真っ先に目を通すのがこの藤原正彦先生の寄稿文である。
毎号、先生の正鵠を射た俊逸な文章に触れてから頁を進めるようにしている。
時間のない時には先生の寄稿文のみで頁を捲らずに終わることもあるが・・・。

今号の内容は、SNSなどの情報の信憑性に触れながら、情報発信の中核的な一般メディアにも、鋭い見識による論評を滔々と論じておられた。
新メディアとしてのSNSから発信される信憑性はもとより、旧メディアとも云える新聞やテレビなどでは、私もそうだが、偏向報道にただただ呆れている。
ジャーナリズムの本分は、事実を大前提として、客観的に、しかも公正に伝えることが重要である。
権力に阿るのではなく、権力を監視する立場にあるのではないのか。
今のメディアは権力に諂っているようにみえて仕方がない。

我々一般国民にとって、影響力のあるメディアの荒廃には危惧せざるを得ないが、その原因について先生は記者クラブの存在を指摘している。
記者らによる忖度が偏向報道に結びつくのではと指摘していたが、閉鎖的な記者クラブをオープンにすることにより、偏向報道をなくすことが可能だと指摘している。
流言輩語に翻弄されない為に、或いは「来るべき疾風怒濤の時代に、人間の知的活動を防衛し、尊厳を死守する為に読書は命綱なのだ」と締めくくっておられる。

確かに、SNSなどの新メディアに踊らされない為にも、日頃自分の目で確かめ、自分の頭で考え、洞察を深めることが重要である。
一方的に流された情報文や動画に、何も考えずただ鵜呑みにするのは実に恐ろしいことである。
権威ある人物らが発したとしても、実にとんでもないことを平気で発信することが度々散見される。
先ず以て、疑ってみることが先決であり、真実を見極めることが肝要ではないだろうか。

寄稿文の具体的な内容については、著作権の問題もあろうことからこの場では控えるが、特に昨今の世相は混沌としており、腑に落ちないことだらけである。
その現象を不倶戴天の敵と認識しながら、見識の高い藤原先生の主張や思考を思念しながら、広く流布されることを願ってやまない。


saruma