「きゝもせず束稲やまのさくら花よし野のほかにかゝるべしとは」
「みちのくの束稲山の桜花吉野の山にかかる志らくも」 (山家集)

今から900年ほど前、古都平泉を訪れた西行法師が詠んだ二首だが、吉野(奈良)の桜に劣らぬ程の束稲山の桜を見て、詠嘆を三十一文字に込めた歌である。
900年の時を経た今でも、景観の美に対する思いや感慨は、共鳴するのではないだろうか。
思弁かもしれないが、「時空を超えた空間を共有している」と云っても差し支えないのかもしれない。

余談はさておくとして、
平泉町の高舘から北上川を挟み、東方に目を向けると、安倍頼時の時代に植えられた1万本の桜が咲き誇っていた、と云われる束稲山が山景を誇っている。
その束稲山を要所として、北上山地の南端部を南北に低山が連なっている。

その束稲山麓一帯が2023年1月17日、日本農業遺産に認定され、昨日、1周年を記念して平泉ホテル武蔵坊を会場にシンポジウムが開かれた。
日本農業遺産の認定は、農業景観の維持や保全を目的に農水省が企画したものだが、その選定基準も、生物多様性や伝統的な農法の継承、災害時に対する回復力など、いくつかの項目がある。
条件としては、概ね100年以上継続する伝統産業であることがあげられる。

我が家も、奥州藤原家の流れを汲むご本家から分家(分家筆頭)して400年程経つが、認定された区域内に土地を所有し、代々受け継ぎ、守ってきた。
後継者の問題等、今後の継承には問題も山積しているが、それは兎も角として、今回出席したのは農業遺産についての理解を深めるべく、関係者の報告や遺産の魅力、今後の方向性などの講演を拝聴する為でもある。
他には1周年を記念して写真コンクールがあったが、応募したところ佳作ではあるがその表彰式への出席の為でもあった。

シンポジウム開会宣言の後、農業遺産推進協議会の青木幸保(平泉町長)会長の肺腑を衝くご挨拶の後、本格的な表彰式が行われた。
表彰式が終わると、記念講演として、平泉世界遺産ガンダンスセンターの八重樫忠郎センター長による「県南地域にある“遺産”の魅力と価値・つなぐことの意義」を演題に講演が始まった。
講演のなかで、2011年6月、世界文化遺産に登録された平泉に関連する行事の紹介があった。
今年は金色堂建立900年を迎え、再来年(2026年)には奥州藤原氏初代の藤原清衡公900年御遠忌など、大きな記念行事が続く。

その清衡公が中尊寺建立にあたり、前九年の役や後三年の役の折、犠牲になった兵士はもとより、鳥類や虫類など命ある全てに対して、畏敬の念を持ち、霊を慰め弔う為にと、中尊寺を建立し、紺紙金銀写経の制作や供養願文を作成したことなど、縷々説明があった。

また、我家にも揮毫の色紙があるが、1993年から2006年迄の13年間、中尊寺貫首を務められた故・千田孝信(観音寺名誉住職)氏が、清衡公の功績や理念について述べられたことに触れた。
仏教にとって戦うことは、他人との殺し合いではなく、自らの煩悩、弱さ、憎悪、怨念と戦う営みであり、清衡公はこれを身をもって示されたのではないかと説かれた。

他には世界灌漑施設遺産「照井堰用水」や日本遺産みちのくGOLD浪漫、束稲山の由来や、平安時代の水田跡や足跡など、興味深い言説に耳を方向け、そばだてたのだった。
その後、農業遺産推進協議会事務局の川守田真紀氏から、「日本農業遺産認定後の取組状況・今後の方向性」と題して報告があり、続いて事例紹介として、NPO法人遠野・里・暮らしのネットワークマネージャー田村隆雅氏による、農村の地域資源を活用した遠野の事例が紹介された。

そして最後に、「能登の里山里海の復興について」を演題に、石川県農林水産部里山振興室次長の堀田智恵美氏による里山活用の事例や、今年の元旦に襲った能登半島地震や、9月21日発生の能登豪雨などの被災状況や復興の様子などの報告があり、身につまされる思いで拝聴したのだった。
現在、災害ボランティアの受付や災害義援金の募集も行っている。また他の支援方法として、石川県ふるさと納税も利用できるとのこと。
錦地、能登半島の景観保持はもとより、住民が住み慣れた土地、地域の再興を目指した政策を念頭に置きながら、一刻も早く復興できるよう願ってやまない。


shishiodori



place
kehin
佳作とのことで、あまり期待はしていなかったが、結構賞品が良かった。感謝!感謝!!

kansu
我家所蔵の千田孝信(観音寺名誉住職)氏揮毫の色紙

chibasigemisan
農業遺産の景観を守るとともに、瑞穂の国、我々日本人の食の基とも云える「お米」の大切さを、改めて今回のシンポジュームで考えさせられた。そんな折、地元紙(岩手日日)の「投稿すくらんぶる」に、千葉繁美(88)さんの金言を散りばめた達文が載っていた。