7月29日の財政会議で、プライマリーバランス(PB)が2025年には8000億円程度の黒字に転換するとの通しを発表した。
企業業績の好調を背景に、税収増と大規模経済対策により、収支が改善すると見込んでいるようだ。
ワイズスペンディングを徹底し、歳出改革努力と制度改革の取り組みを確実に進め、2025年度は歳出効率化による一定の効果も織り込み、2033年度までPBの黒字が続くとの見通しのようである。
しかしながら、そもそも、国の基礎的財政収支(PB)が黒字化するということが本当に正しいことなのだろうか。
端的に、或いは常識論的に云えば確かに、黒字になること自体は決して悪いことではない。
赤字で赤字による不安に苦しむより、黒字となり余裕がある方が良いのは至極当然のことである。
ただ、しかしながら、それはあくまでも我々民間レベル、ごく一般的な企業の論理に他ならない。
借金をすれば返済するのは至極当然の話であり、返済する為には労働力の提供によって対価を得、それを返済に回す。それでも間に合わない場合は他から借りるなどして返済に回すこともある。
借金をすれば返済するのは至極当然の話であり、返済する為には労働力の提供によって対価を得、それを返済に回す。それでも間に合わない場合は他から借りるなどして返済に回すこともある。
何故なら、我々民間はお金そのものを作れないからである。
しかしながら国、政府は全く異なる。
通貨発行権を有し、自らお金を作り出すことが可能である。
今回の発表では、「企業業績の好調により、税収が増え、収支が改善する」ことを見込んでいるが、それよりも、五公五民による税負担がPB黒字化の大きな要因ではないだろうか。
デフレ基調やコストプッシュ型インフレの下で、国が黒字化を目指せば目指すほど、我々国民の負担は増え、益々貧しくなるのは自明の理である。
選挙の度に思うのだが、選挙の争点を「財政政策」云々に絞り、注視しながら投票に臨みたいものである。つまり、積極財政派か、または緊縮財政派かである。
国の借金が膨らみ、「孫子の代にツケを残して良いのか」と果敢に喧伝され、財政観、貨幣観を間違えていた当時は、かく云う私もそう頑なに信じていた。「国債の乱発は止めるべきだ」「孫子の代に借金を残すべきではない」「節約すべきである」「困窮は已む無しだ」等々、そう頑なに信じていた。勿論、節約や困窮は必ずしも悪いことではない。
しかしながら、財政の真実を知るにつれ、それらの考えは間違いであったことに気付かされたのだった。
「改過自新」「過ちては改むるに憚ること勿れ」である。
待望の初孫が生まれたが、孫子らに「借金、負債」を残すどころか、寧ろその逆で、「虚偽、欺瞞」の狂信により赤貧の未来を残しかねない。
現在、果敢に積極財政を唱え、主権を我々国民に取り戻そうと、国民の為の政策を唱える為政者らも散見される。
次期総選挙ではそれらの正しい財政のあり方を徹底的に学び、修正する人物に清き一票を投じ、国政を担う暁には、財政法4条の見直しと、国債60年償還ルールなどをしっかりと見直し、日本国憲法の前文にあるように、主権在民を旨とした政治家を選びたいものである。
水深日本一の湖沼、秋田県の田沢湖のみに約80年前(1940年頃)迄生息していた国鱒(クニマス)が、国策によって絶滅した(後に、富士五湖の西湖で生息していたことが判明)とされた。
その国鱒を取り上げた作家の池田まき子さんの良書『クニマスは生きていた!』の一文に、「クニマスをふるさとの田沢湖に返すこと」を誰もが望んでいる。だが、本当に目指すべきなのは「クニマスに田沢湖を返すこと」だと述べている。云いえて妙である。
その国鱒を取り上げた作家の池田まき子さんの良書『クニマスは生きていた!』の一文に、「クニマスをふるさとの田沢湖に返すこと」を誰もが望んでいる。だが、本当に目指すべきなのは「クニマスに田沢湖を返すこと」だと述べている。云いえて妙である。
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