「すまなかった」では絶対に済まされない一つに、「冤罪事件」がある。
冤罪とは「無実であるのに、濡れ衣を着せられるなど、犯罪者として扱われること」を云う謂わば検察や裁判官の「過ち」によって有罪と確定されることを云うが、過去には免田事件や島田事件のように、再審請求を受理され、無罪判決となったケースもある。
また、1990年5月には、4歳の少女が殺害された「足利事件」があるが、元被告人の菅家さんが、当時のDNA鑑定の未熟さから犯人と断定され、1993年に無期懲役をいい渡され、2002年の最高裁で一旦有罪が確定された。
しかし同年に弁護側は最高裁に再審請求を提出。その後再審請求の即時抗告審で、東京高裁は2008年12月に弁護側が要求したDNA型再鑑定実施を決定した。
翌年の2009年5月、真犯人のものとみられる試料と、菅家さんのDNA型が一致しないことが判明した。
菅家さんは17年にも及ぶ長きの間、犯人として扱われ、想像を絶するであろう辛酸を舐めながらも、自由を奪われ、身動きの取れない鉄格子の中で監禁されていた。
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コメント
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コメントありがとうございます。
長いようで短い人の一生です。時間は決して戻ることはありませんね。無実の罪を着せられ、自由を奪われ、「失った時間」を考えますと、あまりにも切ないです。
仰る通り、司法や検察のあり方、警察による取り調べ等、徹底した可視化が必要であろうと思います。
冤罪を生む司法や検察の仕組みにも問題があると思いますが、冤罪で失った人生を誰がどう責任を取って保障してくれるのか?いつも疑問に思っています。