「青空の脚」といふものふと過ぎたりかなしからずや青そらの脚
と云う宮沢賢治の短歌がある。
賢治の短歌の特徴として、メタファーを取り入れた歌作が多く、心象の世界、空想の世界観を表現する作品が多く見受けられる。
この歌の初句に「青空の脚」、結句に「青そらの脚」と云う詞が用いられている。どう云う意味なのかと色々想像を膨らませてみたことがある。
今はかなり少なくなったが、当時は稲刈り後の稲束を乾燥させる為に稲架や穂仁王(ホニヲ)と云った竹や木組みの稲掛けで乾燥させた。所謂コメの自然乾燥だが、賢治は特に穂仁王(ホニヲ)が青空から伸びた脚のように見えたのではないか、と私は勝手に想像している。
「かなしからずや・・・」収穫の喜びがある一方、秋は一抹の寂しさを感じるものだ。
穂仁王に掛けられた稲束は秋風に吹かれ、脱穀の時を待つ。
実際には賢治本人から聞いてみないと正答は得られないが、同じ岩手の風土で育った者としてなんとなくその情景が目に浮かぶようである。
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