「面倒だ」と整理を怠っていた本棚があまりにも乱雑になっており、読み返そうと思った本が行方知れず。
あっち行ったりこっち行ったりと肝心な時にないのである。
そんなことから少しずつでもいいから整理整頓を心掛けようと片付けをしていると、山尾三省(故人)さんの詩集「びろう葉帽子の下で」が出てきた。
私が若かりし頃、山尾さんの詩や生き様に傾倒し、わざわざ屋久島まで会いに行ったものだが、当時の思い出が走馬灯のように蘇ってきた。
特にこの詩集のなかに「聖老人」というのがあって、樹齢7200年(現在文字色では4000年以上との表現)とも云われる聖なる屋久杉「縄文杉」に語りかける詩がある。
そもそも現地の屋久島では、樹齢1000年を超えたものにのみ屋久杉の呼称を使い、それ以下は「こすぎ」と呼んでいた。
なかでも樹齢7000年を超える杉は世界でも類を見ない。
大地に這いつくばり、7000年もの長きの間、嵐や風雪に耐えながらも命の灯りを絶やすことなく長らえてきた縄文杉を、聖なるものと崇め、畏敬の念を持って対話する叙情詩が以下の聖老人である。
◆聖老人
屋久島の山中に一人の聖老人が立っている
齢(よわい)およそ7200年という
ごわごわとしたその肌に手を触れると
遠く深い神聖の気が沁み込んでくる
聖老人
あなたは この地上に生を受けて以来 ただのひとことも語らず
ただの一歩も動かず そこに立っておられた
それは苦行神シヴァの千年至福の瞑想の姿に似ていながら
苦行とも至福ともかかわりのないものとして そこにあった
ただ そこにあるだけだった
あなたの体には幾十本もの他の樹木が生い繁り あなたは大地とみなしているが
あなたはそれを自然の出来事として眺めている
あなたのごわごわとした肌に耳をつけ せめて生命の液の流れる音を聴こうとするが
あなたはただそこにあるだけ
無言で 一切を語らない
聖老人
昔 人々が悪というものを知らず 人々の間に善が支配していたころ
人間の寿命は千年を数えることができたと わたしは聞く
そのころは 人々は神の如くに光り輝き 神々と共に語り合っていたという
やがて人々の間に悪がしのびこみ それと同時に人間の寿命はどんどん短くなった
それでもついこの間までは まだ三百年五百年を数える人が生きていたという
今はそれもなくなった
この鉄の時代には 人間の寿命は百年を限りとするようになった
昔 人々の間に善が支配し 人々が神と共に語り合っていたころのことを
聖老人
わたしは あなたに尋ねたかった
けれども あなたはただそこに静かな喜びとしてあるだけ
無言で一切のことを語らなかった
私が知ったのは
あなたがそこにあり そして生きている ということだけだった
そこにあり 生きているということ
生きているということ
聖老人
あなたの足元の大地から 幾すじもの清らかな水が沁み出していました
それはあなたの 唯一の現れた心のようでありました
その水を両手ですくい わたしは聖なるものとして飲みました
わたくしは思い出しました
法句経九十八
村落においても また森林においても
低地においても また平地においても
拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい ―
法句経九十九
森林は楽しい 世人が楽しまないところで 食欲を離れた人は楽しむで あろう
かれは欲楽を求めないからである ー
聖老人
あなたが黙して語らぬ故に
わたしはあなたの森に住む 罪知らぬひとりの百姓となって
鈴振り あなたを讃える歌をうたう
山尾三省作
原爆や原発事故にともなう死の灰の拡散、人体に悪影響を及ばす高濃度の大気汚染、鉄の時代となり「人類の進歩」を大義名分とした人工的創造による副産物により、自然破壊や環境汚染がもたらされ、その代償としてワラビやゼンマイなどの山菜。
また秋ともなれば、森や林の倒木や落葉の間から、樹林の間に間に木漏れ日が照らされキラキラと宝石のように耀くキノコ。
また山の頂きに積もった雪が、雪解け水となり、砂や石ころの間を通り抜け、清らかな流れとなり、小川となり大河となって、やがて海原へと流れる清らかな筈の水が、全て汚染され、汚れた大海になろうとしている。
そんな移り変わりを、はたして聖老人はどんなふうに眺めているのだろうか。
あっち行ったりこっち行ったりと肝心な時にないのである。
そんなことから少しずつでもいいから整理整頓を心掛けようと片付けをしていると、山尾三省(故人)さんの詩集「びろう葉帽子の下で」が出てきた。
私が若かりし頃、山尾さんの詩や生き様に傾倒し、わざわざ屋久島まで会いに行ったものだが、当時の思い出が走馬灯のように蘇ってきた。
特にこの詩集のなかに「聖老人」というのがあって、樹齢7200年(現在文字色では4000年以上との表現)とも云われる聖なる屋久杉「縄文杉」に語りかける詩がある。
そもそも現地の屋久島では、樹齢1000年を超えたものにのみ屋久杉の呼称を使い、それ以下は「こすぎ」と呼んでいた。
なかでも樹齢7000年を超える杉は世界でも類を見ない。
大地に這いつくばり、7000年もの長きの間、嵐や風雪に耐えながらも命の灯りを絶やすことなく長らえてきた縄文杉を、聖なるものと崇め、畏敬の念を持って対話する叙情詩が以下の聖老人である。
◆聖老人
屋久島の山中に一人の聖老人が立っている
齢(よわい)およそ7200年という
ごわごわとしたその肌に手を触れると
遠く深い神聖の気が沁み込んでくる
聖老人
あなたは この地上に生を受けて以来 ただのひとことも語らず
ただの一歩も動かず そこに立っておられた
それは苦行神シヴァの千年至福の瞑想の姿に似ていながら
苦行とも至福ともかかわりのないものとして そこにあった
ただ そこにあるだけだった
あなたの体には幾十本もの他の樹木が生い繁り あなたは大地とみなしているが
あなたはそれを自然の出来事として眺めている
あなたのごわごわとした肌に耳をつけ せめて生命の液の流れる音を聴こうとするが
あなたはただそこにあるだけ
無言で 一切を語らない
聖老人
昔 人々が悪というものを知らず 人々の間に善が支配していたころ
人間の寿命は千年を数えることができたと わたしは聞く
そのころは 人々は神の如くに光り輝き 神々と共に語り合っていたという
やがて人々の間に悪がしのびこみ それと同時に人間の寿命はどんどん短くなった
それでもついこの間までは まだ三百年五百年を数える人が生きていたという
今はそれもなくなった
この鉄の時代には 人間の寿命は百年を限りとするようになった
昔 人々の間に善が支配し 人々が神と共に語り合っていたころのことを
聖老人
わたしは あなたに尋ねたかった
けれども あなたはただそこに静かな喜びとしてあるだけ
無言で一切のことを語らなかった
私が知ったのは
あなたがそこにあり そして生きている ということだけだった
そこにあり 生きているということ
生きているということ
聖老人
あなたの足元の大地から 幾すじもの清らかな水が沁み出していました
それはあなたの 唯一の現れた心のようでありました
その水を両手ですくい わたしは聖なるものとして飲みました
わたくしは思い出しました
法句経九十八
村落においても また森林においても
低地においても また平地においても
拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい ―
法句経九十九
森林は楽しい 世人が楽しまないところで 食欲を離れた人は楽しむで あろう
かれは欲楽を求めないからである ー
聖老人
あなたが黙して語らぬ故に
わたしはあなたの森に住む 罪知らぬひとりの百姓となって
鈴振り あなたを讃える歌をうたう
山尾三省作
原爆や原発事故にともなう死の灰の拡散、人体に悪影響を及ばす高濃度の大気汚染、鉄の時代となり「人類の進歩」を大義名分とした人工的創造による副産物により、自然破壊や環境汚染がもたらされ、その代償としてワラビやゼンマイなどの山菜。
また秋ともなれば、森や林の倒木や落葉の間から、樹林の間に間に木漏れ日が照らされキラキラと宝石のように耀くキノコ。
また山の頂きに積もった雪が、雪解け水となり、砂や石ころの間を通り抜け、清らかな流れとなり、小川となり大河となって、やがて海原へと流れる清らかな筈の水が、全て汚染され、汚れた大海になろうとしている。
そんな移り変わりを、はたして聖老人はどんなふうに眺めているのだろうか。