4月13日の種まきから育苗期で3泊4日、ハウスに移してから6日目を迎えた稲苗。今のところ順調に育っているようだ。
お田植えの予定は5月12日だが、果たして順調に行くかいかぬかは稲神のみが知っている。

漸くここ岩手県南地方も桜が満開となった。我が家は染井吉野が4本、八重桜を1本、近所でも桜の樹を何本か所有しており、その桜も一斉に開き賑わっている。郷山が笑っているかのようである。
ニュースではかなり以前から、「どこどこで5部咲きだ」とか、「あそこでは満開だ」とか、毎日のように桜の映像を目にしていると、感心が若干薄れていた。しかしながら実際咲いた桜を目の前にするとやはりいいものだ。
桜の咲く頃は田圃仕事も忙しくなる。時折花に目を向け、癒やされながらトラクターに乗っていると、時間が立つのもつい忘れてしまう。もっとも仕事に行かなければならないので忘れちゃ困るが・・・。

今から900年程前、ここ岩手県南に訪れた西行法師が、
きゝもせず束稲やまのさくら花よし野のほかにかゝるべしとは
みちのくの束稲山の桜花吉野の山にかかる志らくも 
と詠んだ二首を思い出す。平泉町の高舘から北上川を挟み、東方に目を向けると、当時、1万本の桜が束稲山一面に咲き誇っていたと云われている。
吉野の桜に劣らぬ程の束稲山の桜を見て、その詠嘆を三十一文字に込めたものだが、900年の時を経た今でも、景観の美に対する思いや、感慨は共鳴するのではないだろうか。
思弁かもしれないが、「時空を超えた空間を共有している」と云っても差し支えないのではないだろうか。
その西行を偲び、6日後の4月29日、中尊寺本堂を会場に落慶法要、そして第40回中尊寺西行祭短歌大会が行われる。
不肖私も今回、司会進行役と云うことで、大役に緊張しながらも薬医門をくぐろうと思う。


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