猫間が淵とは、今は水田などに埋め立てられてその面影はないが、今から900年程前の平安後期、藤原清衡公から藤原泰衡公迄の4代の居所があった場所と、当時の政庁があった柳之御所を隔てた大きなナマズのように横たわっていた水路、と古地図に載っていたそうだ。「猫間が淵」