今月の(5月)4日で、寺山修司が亡くなって40年目を迎えた。
多感な時期を複雑な家庭環境で送り、歌人としてのみならず脚本家や演出家、映画監督やエッセイストなどなど、八面六臂の活躍を惜しまれながら、享年47、1983年(昭和58年5月4日)風のように去って行った。
寺山のマルチな才能や生き様に感銘を受け、魅了された文人たちも多い。
その為、伝記や寺山論など、取り上げた書籍も多くある。
そんななか、新刊が発売になった。

伊藤裕作(編著)、藤原龍一郎(日本歌人クラブ会長)、青池憲司(映画監督)、流山児祥(演出家)、大橋信雅(詩人)、大橋信雅(詩人)ら6名の共著による、寺山短歌鑑賞の入門編とも云える、晦渋な短詩の鑑賞を一冊の本に纏めた高著『寺山修司 母の歌、斧の歌、そして父の歌』が5月19日に発刊された。

◆出版社による紹介
俳句・短歌・詩・小説・評論・映画・演劇──47年の生涯を疾走しつづけたマルチクリエーターの巨星、寺山修司。自ら「職業・寺山修司」と言わしめた「ことばの鬼才」。没後40年を経ても、その人気は衰えることがない。では一体、寺山修司とは何者だ!? 最大の謎は、虚実ないまぜの自伝や「父不在・母恋し(母殺し)」の情念を書き綴った定型短歌が、なぜ魅惑的か、ということだ。テラヤマフリークを自認し、生涯風俗ライター兼歌人を宣言する伊藤裕作が寺山短歌の中から直截的な母の歌50首、斧の歌10首、父の歌38首を拾い出し、同好の士の歌人・藤原龍一郎、詩人・大橋信雅の力を借りながら評釈したのが本書の核。また、序文を映画人・青池憲司(監督)がモンタージュ的に、論考を演劇人・流山児祥(演出家)が短歌劇場仕立てに、それぞれ独自の視点で寺山と父母との関係性を読み解いている。本書は、呪詛と抒情に満ちた寺山短歌鑑賞の入門編でもある。

青森県三沢市に寺山修司記念館がある。
5月4日の修司忌にはフェスティバルが開催されているようだが、来年には時間調整を図りながら是非とも訪れてみたい。
ちょっと離れてはいるが、その際にはアントニオ猪木さんの墓参りもしたいと思う。


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