「我が家の畑は」と云っても、家庭菜園程度の畑である。
見よう見真似でやり始めた私だが、野菜作りは3年ほどになる初心者だ。
両親が健在(今でも生きている)な頃は、折角の楽しみ、或いは健康管理を兼ねての運動だと解釈して私は殆ど手を出さなかった。
そんなこともあって、いざ野菜を作ろうと思ってもなかなか要領を得なかった。
だが漸く、多少なりともまともな野菜を作れるようになると、それが「楽しみごと」の一つにもなっている。

昨年は特に、胡瓜の成り具合がかなり良く、とても母と二人きりでは食べきれない程の収穫量だった。
手を加えれば加える程、実りも良くなる。
今年は苗の本数を減らし、時期を若干ずらして栽植することにしたい。
既にほうれん草や小カブ、ニラの播種は既んでいる。今年は昨年同様、胡瓜の他に茄子やピーマン、オクラや夕顔なども植えてみたい。
全て私の好きな野菜ばかりだが、今年はそれら以外にも種類を増やしてみようと思っている。

若かりし頃、友人らと酒を酌み交わしながらお互いの将来の夢を語り合ったものだが、私の夢は「晴耕雨読」だと話すと、随分「夢のない夢だな」と一笑に付されたものだが、この齢になって思うと、「最高の夢だ」と思えるようになった。
それも遠くない将来に実現出来そうである。
私の好きな歌人の一人に、橘 曙覧(たちばな あけみ)がいる。幕末期の歌人で、モノの豊かさではなく心の豊かさを求めた清貧の歌人であり、日常詠や家族詠を好んで詠んでいる。なかでも「独楽吟」が知られている。

その独楽吟のなかに、「たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花の咲ける見る時」と云う一首がある。
1994年(平成6年)6月13日、天皇・皇后両陛下が訪米した折、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチのなかで引用した一首である。
朝起きて、庭を散策した折、「あれっ、この花綺麗だな」「昨日までは咲いてなかったのに・・・」と、橘曙覧の微笑む顔が見て取れる一首である。
日常のふとした瞬間の喜び、感動を詠んだものだが、日常の細やかな「楽しみ」「仕合せ」を三十一文字で表現する。
私も斯くありたいと思う今日此の頃である。

追記
今朝、散歩がてら畑の様子を見に行くと、一頭のニホンカモシカが桑の新芽を啄んでいた。おそらくこのニホンカモシカは昨年の6月上旬、母子のカモシカとばったり会ったが、その子カモシカの方ではないかと思われる。
その様子を後ほど動画にしてみたい。


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