松は針葉の常緑樹として、厳寒のなかでも濃緑を保ち続けており、縁起が良いとされている。
長寿や目出度さの象徴として、一年の門出を祝う正月飾りとしても重宝される植物である。
その縁起の良い松のなかでも、岩手県一関市川崎町にある個人所有の「薄衣の笠松(1976年3月23日岩手県指定天然記念物指定)」は、推定樹齢6百年余と云われる名木として地元民らに寵愛されている。

今から14・5年前、私もその名木を一目見ようと柏木地区を訪れたことがある。
今回久方ぶりにその後の様子をみに訪ねてみることにした。
しかしながら残念なことに、3本のなかでも最大(幹周5.7m、直径1.8m、枝張13.5m)の一号松は既に樹勢が衰え、衰弱が顕著とのことから、2014年に伐採され、今は切り株が残るのみとなっていた。
幹の一部は一関市川崎支所庁舎ロビーに展示されている。

言伝えとして、地元では笠松を千年以上の老樹として畏敬の念を持ち、寵愛している。
今から4百数十年前、この地は伊達領内だったことから、領主の伊達政宗公が領内視察の折、見事な笠の開き具合に嘆賞してか、青葉城の敷地内に移植したいと家来に申し付けたところ、「いかに天下の名木でも道路下の松だから、此れを移植するのはいかがなものか」との家老の進言により、断念したとの言伝えが残っている。そのことから「見越しの松」とも呼ばれているとか。
peaの植物図鑑さんのブログより引用)

もし、伊達政宗公が移植したとしたら、果たして笠松は現存したであろうか。
その地、その土地に根付き、しっかりとした命を営むもの。土壌はもとより、風や空気、水も異なるだろう。
人もまた同じ様に、生まれ育った所がやはり一番ではないだろうか。
淡淡と生き、黙黙と営むことこそが「良」であり「善」であると私は思う。

孤高の詩人、山尾三省の詩集『びろう葉帽子の下で』のなかに、「聖老人」と云う樹齢7200年とも云われる縄文杉(屋久杉)を詠んだ一遍がある。
そのなかに、
「聖老人
昔 人々が悪というものを知らず 人々の間に善が支配していたころ
人間の寿命は千年を数えることができたと わたしは聞く
そのころは 人々は神の如くに光り輝き 神々と共に語り合っていたという
やがて人々の間に悪がしのびこみ それと同時に人間の寿命はどんどん短くなった
それでもついこの間までは まだ三百年五百年を数える人が生きていたという
今はそれもなくなった
この鉄の時代には 人間の寿命は百年を限りとするようになった
昔 人々の間に善が支配し 人々が神と共に語り合っていたころのことを」

薄衣の笠松も600年と云う歳月を淡淡と、そして黙黙と大地に這い蹲り命をつないできたのは、この地が「善」によって支配され、神と共に語り合うことが出来たからに他ならない。


tanka2



tanka8

DSC_0016

DSC_0013

DSC_0002




ランキングボタンをポチッとひとつ押していただくと大変嬉しく思います。
にほんブログ村 ポエムブログ 写真短歌へ
にほんブログ村

フォト短歌游々日記 - にほんブログ村



こちらもひとつ、ポチッと押していただくと大変嬉しく思います。

俳句・短歌ランキング