先日の地元紙(岩手日日)に、蓑虫山人のことが載っていた。
一関市大東町の2022年度「蓬莱カレッジ」歴史講座の一齣とのこと。
講師は熊谷常正(盛岡大学名誉教授)さん。

蓑虫山人(1836年~1900年)は美濃国(現在の岐阜県)生まれ。14歳で母を亡くし、そのことを切っ掛けに全国行脚の旅に出た。
本名は土岐源吾。投身自殺を図った西郷隆盛を助けたとの逸話も残っている。
蓑虫山人は公園の建設を手掛ける造園家として、また南画を基調とした文人画を得意とする絵師としても知られた人物であり、寝食はその土地々々で描いた画の対価で生計を立て、糊口を凌いでいたようだ。
岩手県内にも滞在しており、東磐井界隈には約1年半程滞在していたそうだ。

蓑虫の由来は、生活道具を入れた天幕のような「笈(おい)」を背負いながらの行脚。その様相が「みのむし」のように見えたことから号したようである。
私が蓑虫山人に興味を抱いたのは、青春時代の思い出が詰まった水沢公園の設計に携わった人物だと知ったからだ。
私も若かりし頃、レミーブラウンの天幕リュックを背負って京都や四国、九州などを旅しながら、詩人の山尾三省(故)を訪ねて屋久島に渡ったことがある。
出来ることならもう一度リュックでも背負いながら、全国を行脚したいものだと今でも欲念を膨らませている。
まあ、現実的には無理だろうが・・・。

紙面の紹介で、
「蓑虫が描いた東磐井は今と比べると貧しい時代だが、本当の豊かさ、幸せは何かということを投げ掛けているように思う。今も蓑虫が見た当時と変わらない風景が残っており、この風景を見て歴史や暮らしを自分たちで考え、守り、育てていくことに歴史を学ぶ意味がある」と講師の熊谷常正さんが語ったと締めくくっている。
誠に、心底に余韻が残る箴言である。


egumimoyosi

母が入院して5日目。
それまでは卒寿の母が厨に立っていた。
母の味付けを思い出しながら作ってはみるものの、料理は学生時代に少々齧った程度、上手くいく筈もない。
結局はありあわせの食材で野菜たっぷりのごった煮と相成った。
ただ、これがまた結構いけてるのである。
食材に救われた感は否めないが・・・。
但し、もう一度同じように作ろうと思っても、それは無理であろう。







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