2003年3月、バグダッドに対する夜間空爆で幕を開けたイラク戦争だが、2011年日本時間の12月14日、漸く終結を迎える事となった。
当時イラクの大統領だったサッダーム・ フセインが、核兵器などの大量破壊兵器を開発して、国際的テロ組織であるアルカイダなどに武器を供給しようとしているとの理由や、如何なる理由であっても、テロは絶対に許さないとする大義名分の下、この戦争を正当化し数多くの尊い命を犠牲にしてきた。
結果論だが、単に独裁者サッダーム・ フセインを葬り去る目的なら、民主化の流れをくみ、ほんの数年後にはTwitterやfacebookなどのSNS革命によって、当事国の国民によって糾弾された筈である。

この8年と9ヶ月の長きの間、戦々恐々としながら、命がけで生きる事に懸命だったイラク国民の心情を察すると、とてもひと言で言い表わせるような単純で安易なものではない。
虱潰しに探したにも係わらず、結局大量破壊兵器など何処にもなかった。

無益で無意味な戦争をだらだらと続け 、益々泥沼化してきたというのが実態である。
メディアや非政府組織の報告をもとに集計した結果、今年10月10日迄の約8年半の間に、イラク側の犠牲者15(死者)万人、そのうち5人に4人、12万人が民間人だったとされている。何とも酷い現実だった。

また、今回のイラク戦争でアメリカ側が投じた予算は8000億ドル以上、日本円にして約64兆円もの国費が投入されたと報じられている。
一方日本でも、「テロを許すまじ」と当時の強行政権の下、イラク特措法や対テロ特措法に基づいて約1000億円以上もの税金が投入された。湾岸戦争では90億ドル(約1兆2000億円 当時1ドル130円換算)の追加支出を実行したと云われていた。

人の命を前にして、決してお金云々を前面に出して問うたり論じるつもりはないが、これだけの予算があれば、
多くの人達が救われたのではないだろうか。
人を傷つける為に予算を使うのではなく、人を活かす為に予算を使ってもらいたいものだ。



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