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先週の土曜日、FP協会(日本ファイナンシャルプランナーズ協会)岩手支部一関地区の勉強会があり、講師を招き認知症サポーター養成についての講義を頂戴した。

認知症とは、色々な原因によって脳の細胞が死滅したり、働きが悪くなった為に、様々な障害が起こり、生活する上に支障をきたす状態がおよそ6ヶ月以上継続する事をいい、中でも最も多いのが脳の神経細胞がゆっくり死滅する「変性疾患」と呼ばれるアルツハイマー病や、前頭・側頭型認知症、レビー小体病など。続いて多いのが脳梗塞や脳出血、脳動脈硬化などの発症に追随し、神経細胞に栄養や酵素が行き渡らなくなり、その結果その部分の神経細胞が死滅したり、神経のネットワークが壊れてしまう脳血管性認知症がある。
誰しもいつ何時その症状が現れないとも限らない。

肉親や身近な人でもし発症した場合には、その行動に対して理解が必要である。
例え認知症と診断されたとしても、慌てず騒がず、一歩下がって観察し自分の言葉で表現するよう心がけ、「徘徊」「幻覚」「妄想」などの専門用語を使わず、ごく普通に接する事が肝要である。
(認知症サポート養成講座標準教材より抜粋)

映画では『恍惚の人(1973年)』、『半落ち(2003年)』、渡辺謙さんが演じた『明日の記憶(2005年)』では、若年性アルツハイマーの発症による家族の苦悩が描かれた。
悲しい出来事として、母親の介護疲れがあるのではとの見方で、自らその尊い命を奪ってしまった元タレントの清水由貴子さんの事件は記憶に新しい。

介護の苦しさや大変さは、実際に体験した人でないとなかなか理解出来ないだろう。
とても言葉では言い表せないほど過酷であると思う。
症状が進むにつれて目が離せなくなる。従って、仕事を休み(現実的には離職)看病の専念を余儀なくされるケースも往々にしてある。
その為、生活費を預金に頼らざるを得ない状態になる。
それでも資金のある最初のうちは未だいい、次第に残高も減ってきて、生活への不安が過ぎり次第に精神も追い込まれてくる。

その結果、悲惨な道を辿る事になる。
そうなる前に、心構えやある程度の下準備はしておきたいものだ。
いつ何時認知症の症状が現れないとも限らない。
人間生きていれば誰しも歳をとり老いていき、そして誰しもが認知症の要素を持っているということだ。
つまり明日はわが身であり、決して他人事ではないのである。
患者本人は勿論だが、介護者の負担は計り知れない犠牲が伴う。それに対して社会保障の充実は勿論だが、介護者に対する支援や精神的支えなど、決して他人事とは受け取らずに、地域住民、或いは社会全体での支え合いが必要であるといえるのではないだろうか。


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